jeudi 8 novembre 2007

フランス語、そして科学から哲学へ

9 novembre 2007



私は運命論者らしい。ある事に至った時、その元にあるものを探る癖がある。今回の元はおそらく2001年春ではないかと疑っている。その日私は花粉症に悩まされ、自宅のソファで横になっていた。朦朧とした意識の中で、20年以上前に滞在していたニューヨークで買ったフランス語のカセットのことをなぜか思い出したのだ。それは雑誌 New Yorker の縦長の広告を見て注文したものだが、当時は英語に忙しくほとんど触れることもなく忘れ去られていたのである。早速探してみると出てきたので、横になりながら、あるいは通勤時に20個ほどあるカセットをその音を楽しみながら聞き始めた。ただ聞いている、それだけであった。これが今回の事の発端になったフラ ンス語との出会いである。

それからフランス文化との付き合いが始まった。その昔アメリカに渡り4年が経過したある夏の日の午後、 (私の中では) 英語が右から左に抜けるようにわかるようになるという経験をした。フランス語ではそれは無理だろうから、少なくとも4年間という時間を自由に使ってフランス文化に浸ってみてはどうだろうかという考えの下、これまでいろいろとやってきたようだ。何かのためにやるというのでは全くなく、ただフランス語の音や文化の中に身を晒し、そこでの出会いに快感を感じながらこれまで続けてきたように思う。ひょっとすると、こんなことは今までの私には起こらなかったことかもしれない。

今更述べる必要などないだろうが、異なる文化に触れるとこれまで慣れ親しんだものとは異なる発想の中に身を置くことになり、自分の中の全く別のところが刺激され、しばしば目を開かされる。私の購読している Le Point という週刊誌 (アメリカの Time や Newsweek に当たるようなものか) にはほとんど毎週のように哲学者 (philosophe) が出てくる。そのことに先ず新鮮な驚きを感じた。それから文化欄には哲学・思想と題する項があり、現役の哲学者や思想家が自らの経験を2-3ページに亘って語るのを読むことができる。その内容は哲学研究などではなく、自らの人生をどのように生きたのかを自らの思索を通して自らの言葉で語るというもので、そ こにこれまでには感じたことのない、ある種の感動を覚えることになった。時には雑誌全体の特集としてニーチェ、ショーペンハウアー、スピノザ、モンテー ニュなどの哲学者が10ページほども割いて取り上げられることもある。これらは私にさらなる驚きを与えた。

最近、フランス大統領選挙で勝ったサルコジの政権に、対立する社会党の影の内閣の大臣が参加するという現象が起こった。この現象に対して、表層的な、あるいは裏話的な分析に終始するのではなく、哲学者が出てきてそもそも裏切りとはどういうことなのかを分析したり、精神医学者が裏切りを生む精神状況を語ったりと物事へのアプローチが重層的で、事の本質に迫ろうとする精神を感じ、私にとっては大いに刺激的であった。このような小さな経験を積み重ねているうちに、私の中の何かが変容して行ったようだ。フランス語の « ouvrir votre esprit » という表現を 「あなたの精神を開く」 と直訳した時、私の経験していたことはまさにこれだと感じた。

2005年春、パリにあるパスツール研究所の友人が私の研究室を訪ねてきた。彼は東京の街がマスクをしている人で溢れていることに驚いていたが、そこから会話がある方向に向かった。私が花粉症であること、花粉症のお陰でフランスとの出会いが生れたこと、病気がなくならないのは病気自体に存在意義があるからで、私にとっての花粉症はまさにフランスへの想いを呼び覚ますためにあったと考えている、というような他愛もないことである。そこで彼は、病気の意味などに興味があるのであればこの人を読んでみては、と言って 「ジョルジュ・カンギレム」 という名前を出し、« Georges Canguilhem » と綴ってくれた。それを見た時、不思議な感覚が襲ってきた。何と形容してよいのかわからないが、今まで全く知らなかった世界への鍵がそこにあるかのような、未知への扉がこれから開かれようとしているかのような感覚だろうか。それから彼の著作を取り寄せたり、関連する本に目を通すようになっていた。その結果、このような領域が科学哲学、フランス語では épistémologie (la philosophie des sciences) と呼ばれていることを初めて知ることになる。今から僅か2年ほど前のことでしかない。

またその頃から、ぼんやりと自らの退官のことが頭に浮かんでいた。それまでは研究生活が永遠に続くと無意識のうちに思い、呑気に研究をしていた。そもそも 基礎研究を始めた当初の思いは、何か美しいものを見てみたい、あるいは大きな原理のようなものに触れてみたいというものであった。そのためには、自らの興味に従い求めを続け、その結果見つかってきたことをもとに、さらに問いかけるということを続けていけば、いずれ私の思いが満たされるのではないかと考えていた。これは意識的に考えたというよりも、直感的にそう思っていただけである、と今では言わざるを得ない。この考えは、研究生活が永遠に続くという前提の下で初めて自らを納得させることができるのではないか、と思い始めていた。そんな折も折、アインシュタインの次の言葉に出会ったのだ。

「概念と観察の間には橋渡しできないほどの溝があります。観察結果をつなぎ合わせることだけで、概念を作り出すことができると考えるのは全くの間違いです。あらゆる概念的なものは構成されたものであり、論理的方法によって直接的な経験から導き出すことはできません。つまり、私たちは原則として、世界を記述する時に基礎とする基本概念をも、全く自由に選べるのです。」
この言葉を見た時、ひょっとして私はスタートから間違っていたのではないか、という疑念が湧いていた。と同時に、これまで如何に自分の対象となっているものの本質を考えないで研究していたということを痛感させられていた。これから同じようなことを続けて、果たして自分は満たされて終ることができるのだろうか。さらに突き詰めると、これからを如何に生きるべきなのか、という究極の問が生れて初めて私の前に現れた。

この問に対して、自分に一番しっくり来る道、この道を行けば悔いを残さないと思われる道は何なのかを探ることにした。研究を続ける、大学で教える、新しい分野に入る、悠々自適を決め込む、などの可能性について、実際にその環境に身を置いて自分の反応を確かめるという方法で検討していった。試行錯誤を繰り返した結果、最終的にはパリ第一大学の大学院で科学哲学を学ぶことになった。ここに至る道は、パリ大学の先生が私のような門外漢に許可を与えたことも含めて、不思議の糸に導かれているとしか言いようのないものであった。


2年程前、言葉に慣れるために拙いながらフランス語でブログを始めた。先日、そこに書いたフランスで哲学をやることになったという記事に対して、A4にすると2ページにも及ぶ私の心を打つコメントが届いた。そのコメントの主は、大学で哲学を修め哲学教師をした後、フランスが自らの歴史を蔑ろにしている現状に危機感を覚え、現在政治の世界を目指しているという方である。要約すると次のようなことが綴られていた。
「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。先日、私の 『友人』 と言ってもよいガストン・バシュラール (Gaston Bachelard) について話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものの考え方、すなわち尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」
最近、こういうはっきりした言葉との触れ合いに心から満足を感じるようになっている。数年前では想像もできない変化である。このような精神状態でこれからの数年をこちらで暮らしながら、人類の蓄積を掘り起こし、自らも考えていくという選択をしたことになる。いつの日か、その営みの跡を語ることができれば素晴らしいだろう、などという考えを弄んでいる。


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samedi 24 octobre 2015 


折に触れて8年前に始まったフランスでの道行を振り返ることにした。この記事では、旅の始まりに当たってのこころの状態が綴られている。事の始まりに関しては、その後いろいろな場所に書いている。当時の心積もりは数年の予定で、ここまでの長きに亘るとは想像もしていなかったことが分かる。今の段階では、それでよかったと思っている。落ち着いた精神状態になるには、8年の時が必要だったということになる。
 
わたしのフランスへの興味は、全くの偶然で始めたフランス語から芽生えた。そのことがこの記事に書かれてある。若き日のアメリカでの経験と違うのは、言葉に対する態度であった。アメリカ時代には言葉の習得を第一の目的にしていたようなところがある。つまり、あらゆる機会を捕まえて言葉を学んでいたのである。しかし、学びや反復の中にいると思考が疎かになることに当時は気付いていなかった。そのことに気付いたのは、こちらに渡る数年前のことであった。その時、思考の欠如が自らの仕事にも大きな影響を及ぼしていたことに気付き、驚いたのである。

この気付きから、フランスでは言葉の習得を意識的にはやらないことにした。あくまでも読み、書き、考えることを中心にして、口語表現や発音を後回しにしたのである。そのため、後者は未だに酷いものだが、それでよかったと思っている。なぜなら、思考をどのように深めて行けばよいのかということが、少しだけ見えてきたからである。それこそが、今回の滞在の目的だったからである。

10年前に、フランスからコメントが届いたことも書かれてある。その主が言っていた「傍観者としてではなく当事者として」の生活はできたであろうか。マスターでは大学生活に追われていたが、ドクターでは隠遁者を決め込んでいた。その意味では、後半は実生活の中に積極的に入ることはなかった。しかし、その中においても精神的には当事者としてやっていたのではないかと思う。

この12月にはテーズの審査が行われる。大学生活の締めとしては忸怩たるものはある。何事にも終りはあるので、不十分であるのは致し方ない。欠けている部分は、これからの新たな課題になるだろう。このような機会が、これまでを振り返ることに向かわせたのは間違いない。






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