dimanche 20 avril 2008

つぶやき Articles ou commentaires récents



2016

疾風怒濤の静かな一ヶ月が終わる
(2016年11月20日)

研究のスタイル、研究者の哲学
(2016年11月3日)

奈良で現代日本の問題点を垣間見る
(2016年10月31日)

新しい思想、宗教を生み出すことができるのか?
(2016年10月16日)

アーレントに関するエマニュエル・フェイ氏インタビュー」 
(2016年9月13日)

アーレント事件」 
(2016年9月10日)

一昨日からの瞑想――時間、空間が融合する
(2016年7月18日)

哲学は探究か?
(2016年7月13日)

哲学は体系の構築か?
(2016年7月12日)

哲学は西洋の発明か?
(2016年6月30日)

 「『思想の七大陸』の住人は何をやっているのか?
(2016年6月28日)

 「Philosophie Magazine の十年、あるいは 『思想の七大陸』
 (2016年6月27日)

時間の等価値性について
(2016年6月25日)

二元的な自己
(2016年6月23日)

SHEとPAWL、それは一夜限りの知的共同体であり、句会だった
(2016年5月19日)

『哲学に改宗する』 とは
(2016年1月22日)


2015

人生の時間割に関する哲学
(2015年12月27日)

スートゥナンスという時間、あるいはロゴスと批判精神
(2015年12月20日)

フリーマン・ダイソンさんの大学観からサイファイ研へ
(2015年9月22日)

哲学とは言葉の意味を体得することである
(2015年9月9日)

リチャード・ローティさんによる哲学、および哲学の創造性
(2015年7月23日)

心とは、フリーマン・ダイソンさんの場合
(2015年6月7日)

生命を貫いているもの
(2015年5月17日)

アラン・バディウさんによる哲学と哲学者
(2015年2月25日)

最新の免疫学関連本二冊
(2015年1月28日)


2014 

プラトン的な世界からアリストテレス的な世界へ?
(2014年12月28日)

マルセル・コンシュさんによる哲学、人生、真理
(2014年12月21日)

エピジェネティークの後はメタフィジーク
(2014年10月3日)

哲学者とは
(2014年7月2日) 

『ヘルシンキ宣言50年』 のシンポジウムにて
 (2014年6月5日)

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか (3)
(2014年5月18日)

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか (2)
(2014年5月17日)

人文・社会科学は医学教育にどう関わるのか
(2014年5月16日)

小林秀雄の 『学生との対話』 がカフェSHEやPAWLと繋がる
(2014年4月8日)

エヴァ・ヤブロンカさんの 『文化の生物学 を聴く
(2014年1月21日)


2013

進化医学と適応主義について聴く
(2013年12月10日)

アラン・バディウさんによる三つの 『哲学的状況』、あるいは哲学の使命
(2013年11月27日)

アメリカの医学哲学会議で、英語世界におけるフランスを考える
 (2013月11日24日)

コロンビア大学での医学哲学会議から (3)
(2013月11日24日)

 「コロンビア大学での医学哲学会議から (2)
(2013月11日24日)

 「コロンビア大学での医学哲学会議から (1)
(2013月11日24日) 

利根川進博士の文章を読んで
(2013年10月22日)

科学史の存在理由を問う
(2013年10月12日)

やはり、科学は哲学に行き着くのではないか
(2013年9月24日)

西研教授の 『現象学的明証性とエビデンスをめぐって』 を読んで
(2013年9月20日)

フランソワーズ・ダステュールさんによる現象学、哲学
(2013年8月25日)

ハンナ・アーレントさんの政治哲学を聴く
 (2013年8月19日)

中野幹三著 『統合失調症の精神分析』 を読んで
(2013年8月18日)
オッカムのほうき "Ockham's Broom"、あるいは偶には大掃除を
(2013年7月28日)

科学における哲学教育をどう考えるのか
(2013年7月11日)

何のために、誰のために哲学するのかを考えよ
(2013年7月9日)

『医学の哲学』 国際セミナーで思考の違いを考える
(2013年6月29日)

"American Philosopher" を観る
(2013年6月21日)

ピエール・ゴルシュタインさんの科学研究
(2013年6月15日)

考えている 『わたし』 とは誰か?を観る
(2013年6月11日)

科学と宗教: ジョン・レノックス vs. リチャード・ドーキンスの対論を味わう
(2013年5月19日)

大陸哲学と分析哲学、わたしの場合
(2013年5月5日)

知ることから理解することに至る道
(2013年4月28日)

『曖昧さに耐えること』 再び、あるいはネガティブ・ケイパビリティ
(2013年4月25日)

新しい 『知のエティック』 とサイファイ・カフェSHE
(2013年4月13日)

サイファイ・カフェSHEに想いを巡らす
(2013年4月8日)

サイエンス・カフェ考、あるいは Gathering から Sci-Phi Cafe へ模様替え
(2013年3月9日)

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化
(2013年2月7日)

 「これからの頭の使い方: ミシェル・セールさんの場合
(2013年1月27日)

宇宙論にとって神の存在とは
 (2013年1月6日)

2012

ウンベルト・エーコさんの世界観
(2012年12月30日)

バディウさんによる現代フランス哲学
(2012年12月24日)

免疫学会講演に対する感想をいただく
(2012年12月15日)

メタフィジークについての言葉
(2012年11月8日)

メタフィジーク、あるいは不可能への愛
(2012年11月6日)

自分にとっての世界の全体をどこに見るのか
(2012年10月19日)

理性的に 『こと』 を振り返る時、完全な自由が訪れる
(2012年10月16日)

アラン・バディウさんによる哲学を聴く
(2012年10月14日)

ミシェル・オンフレさん、自らの大学の理念を語る
(2012年10月14日)

La problématique、あるいはどう問を作り直すのかの科学
(2012年6月28日)

世界を記述する新しい言葉、そして自然と文化を結ぶ橋」 
(2012年5月24日)
 
クロディーヌ・ティエルスランさん再び、『哲学は科学的でなければなりません
(2012年5月8日)
 
大阪大学で現代科学を考え、大阪医大で過去と戯れる」 
(2012年4月23日)


日本の現状が垣間見え、決定論漂う徳島の一日
(2012年4月20日)

"The Day After Trinity" を観る
(2012年3月25日)

ジュリアン・バーバーという科学者、あるいは時間とは
(2012年3月18日)

哲学は科学を十全にする
(2012年2月21日)

ヒラリー・パトナムさんが挑んだ哲学的な問
(2012年2月19日)

モンディアリザシオンによる思考様式の単一化から逃れるために
(2012年2月2日)

トーマス・セデルキストさんによる伝記の描き方、あるいは科学者の生き方
(2012年2月1日)

ミシェル・オンフレさんによる哲学の二つの道
(2012年1月30日)

ルソー生誕300年、あるいは自然と科学・技術
(2012年1月17日)

クロディーヌ・ティエルスランさんの目指す科学的形而上学
(2012年1月13日)

「ハイデッガーさんの 『科学は考えない』 を考える
(2012年1月11日)

哲学者ジュリアン・アサンジ、あるいは情報とは
(2012年1月7日)

2011

映画 A Dangerous Method、あるいはカール・ユングという人生
(2011年12月26日)

更地から始める、そして目に見えないものを理解するということ
(2011年11月6日)

生きるとは、詩的に生きること
(2011年10月23日)

クリスチャン・ド・デューブさんの人生と世界観
(2011年10月11日)

マルクス・アウレリウスの声を聴く
(2011年10月11日)

頂点と地獄を見た二人の科学者: フリッツ・ハーバーとロバート・オッペンハイマー
(2011年9月24日)

この世界に身を晒し、その反応を観察する
(2011年9月1日)

『学問的哲学』 と 『生き方としての哲学』 との調和
(2011年8月25日)

映画 『夢』、あるいは黒澤監督の叱咤
(2011年8月16日)

ポール・ジャクレー、あるいは西と東の交わるところ
(2011年7月11日)

近代科学の受容とクラーク精神、そして日本のこれから
(2011年6月20日)

レフ・シェストフあるいはギュンター・アンダースという哲学者、そして理性の後に来るもの
(2011年6月13日)

自らとのランデブー、そして愛が行動を導くのか
(2011年6月7日)

曖昧さに耐えること、そして理解することと判断することの峻別
(2011年5月31日)

新しい世界への道、あるいは Habits of thought との闘い
(2011年5月22日)

ヴァレリー・ペクレスさんの挨拶 - 最後は哲学と文化の問題か
(2011年5月21日)

科学とは論理的な説明を誰にでも求めるもの
(2011年4月14日)

エルネスト・ルナンの生涯
(2011年4月9日)

考えるということ、あるいは一人になること
(2011年3月27日)

『出来事』 に忠実であること、それが人間になる道
(2011年2月28日)

« Philosophie et Immunologie » で科学知から一般知への変換を考える
(2011年2月23日)

科学と哲学の将来について
(2011年2月21日)

政治と哲学の不可思議な関係: アラン・バディウさんの見方
(2011年2月19日)

解るということは自分が変わること、あるいは科学の普及
(2011年2月16日)

江戸の普遍人、平田篤胤
(2011年1月29日)

瞑想生活のある社会 La société avec la vie contemplative
(2011年1月18日)

アンリ・アトラン著 『試験管の中の哲学』に見る科学と神話
(2011年1月13日)

ジョルダーノ・ブルーノという修道僧にして哲学者
(2011年1月11日)

杉田玄白著 『蘭學事始』 を読む
(2011年1月7日)

科学と自由について
(2011年1月3日)

2010

クロード・ベルナールの 『実験医学研究序説』、そして哲学者ができること
(2010年12月10日)

川出由己著 『生物記号論:主体性の生物学』 を読む
(2010年12月1日)

チャード・ルウォンティン『三重らせん』を読む
(2010年11月22日)

基本に返ること、そして鈴木大拙的努力
(2010年11月21日)

フランスにおける哲学教育の一断面
(2010年11月19日)

AAAS2010 で科学を取り巻く三つのフロンティアを考える
(日本免疫学会 JSI Newsletter 19 (1): 36, 2010
(2010年11月17日)

梅原猛編 『脳死は、死ではない。』、そしてこの生の価値
(2010年11月15日)

科学精神を徹底し、内なるエネルギーを立ち上げる
(2010年11月17日)

創造を完成させる瞑想
(2010年11月12日)

ハーマン・マラーという科学者
(2010年11月11日)

日本における近代科学受容の問題点 ― 渡辺正雄さんの見方
(2010年10月27日)

望月京の世界 Le monde de Misato Mochizuki
(2010年10月24日)

生物多様性と生命倫理の交わるところ、J.-C. アメイセンさんの視点
(2010年10月23日)

スティーヴン・ホーキングさんの "The Grand Design" を読む
(2010年10月2日)

リチャード・ロバーツ博士から見た科学、そしてある日本人研究者のこと
(2010年9月28日)

リチャード・ファインマンが考えた『科学時代』とは
(2010年9月25日)

ポール・ジョゼフ・バルテ、あるいは生気論のモンペリエ
(2010年6月27日)

コンフォーミストを乗り越え、新しい言葉を携えて
(2010年5月23日)

専門と責任の関連を考える
(2010年5月16日)

まず科学を語り始めること、そしてどのように語るのかを考えること
(2010年5月9日)

"Is it possible to define normality in the immune system?"
(2010年5月4日)

"Reflecting on the future of philosophy of science"
(2010年5月3日)

これからは哲学・観想が求められる時代
(2010年3月21日)

クロード・ベルナール 『医者はそれぞれ実験者である』
(2010年1月25日)

エネルゲイアをわれわれの生に取り込む
(2010年1月2日)

2009

『ふたつの文化』 から50年目の提言
(2009年12月28日)

"Reinventing the relationship between science and the public"
(2009年12月)

哲学なき科学、あるいは科学は哲学から何を学ぶことができるか
(第39回日本免疫学会 関連分野セミナー
(2009年12月2日)

"Darwin 2009" でダーウィンの試みたことを想う
(日本免疫学会 JSI Newsletter 18 (1): 21, 2009)
(2009年10月9日)

革命の闘士、聖パウロ Saint Paul, militant révolutionnaire
(2009年5月3日)

シーウォル・ライトという遺伝学者
(2009年3月15日)

2008

C.P. スノー 『二つの文化』 を読む
(2008年7月20日)

ニールス・イェルネという科学者
(2008年6月9日)

ピューリタニズムと科学、そして日本
(2008年5月30日)




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