lundi 31 décembre 2007

哲学を「学ぶ」とは

2007年4月19日



一般的に言うと、私はこれから 「フランスで哲学を学ぶ」 ことになるかもしれない。このことにどういう意味があるのだろうか。おそらく、「哲学を学ぶ」 という表現に問題があるのかもしれない。哲学を学ぶということがそもそも可能なのか。哲学を学ぶということは、哲学することとは別のことだろう。では、なぜフランスでそんなことを・・・

私の中ではこういうことのようだ。これまでに存在した人間が考えてきた軌跡を辿り (おそらくこの過程が学ぶということになるのだろうか)、自分と響き合うものを持った人を捜し求める場にしようとしているようだ。自らの感覚器を研ぎ澄まし、相手が放つものを捉える作業を通して、私の中にすでに存在している思想を生き返らせ、新たに誘発される思考を追いながら、それに陰影を加え、少しでも自分らしいものを創出できないかということになる。今ぼんやりと自分の中にある考えをより確かなものとして見えるようにしたいという強い願望があるようだ。

それでは、なぜフランスなのか。それは自分の感覚器が最も鋭敏に反応するようになる環境が現時点ではフランスだからだ。将来のことはわからないが、今この時に自らを最も感度よく反応させることができる環境がフランスだと結論しているからである。そして、自分のどこかと共振する何かを持っている人を長い人類の歴史の中から発見したいという想いが強い。これらの作業を、デカルトがそうしたように覆面をして進めて行きたい。最後までそうできれば最高だろう。





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